智頭宿エリア
智頭宿――因幡・備前街道と千代川水運が交差する宿場町
智頭町内の主要な河川、つまり、千代川、土師川、新見川の合流点に位置する智頭宿一帯は、古代から交通の要衝であり、智頭郡の政治経済の中心であった。江戸時代には智頭街道の宿場であり、千代川流域や土師川流域、新見川流域から運ばれる物資の集積地としても郡有数であった。智頭宿の石谷家や国米家などのが大庄屋を輩出して現在の智頭町域の村々を束ねるようになるなど、智頭宿は一貫してその中核としてありつづけてきた。
因幡街道と備前街道の合流点にあって両街道の宿場として発達し、千代川舟運の筏(いかだ)流しの基地にもなる等、2本の街道と河川が集まる智頭宿は、面的な広がりを持った宿場町という特性を備えることとなった。
また、智頭宿は鳥取藩内にあり、藩の参勤交代の宿場であったことから、藩営の本陣が置かれて御茶屋と呼ばれていた。御茶屋は街道から引き込んだ敷地に設けられたため、現在その跡地を擁(よう)する街区は人家の裏に樹林地やホールがある独特の景観を形成している。
智頭宿北側の牛臥山山裾に鎮座する諏訪神社では、6年ごとに柱祭りが行われている。智頭宿の山主が所有する町内の山林から4本のスギが伐り出され、若者たちが神木として担いで町を練り歩き、諏訪神社本殿の四隅に立てられる。智頭が林業の町であることと、智頭宿の中心性とを象徴する祭礼といえるだろう。
智頭宿の町並み
石谷家住宅
慶長杉