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更新日: 2021年01月25日

まちの概要

杉のまち

杉智頭林業の植樹の歴史は、350年以上といわれ、町内には「慶長杉」と呼ばれる樹齢300年以上の人工林が残り、吉野・北山に並ぶ歴史ある林業地として、全国的にも高い評価を受けてきました。
 智頭材は、建築材としてだけでなく、木目が均等に詰まった木質や、桜色に染まった心材など、智頭杉の美しさは、内装材としても広く利用されました。 近年、木材価格の低迷や林業従事者の高齢化・後継者不足等により、智頭林業は衰退傾向にありますが、智頭町にとって林業は「まちの基幹産業」として、地域活性化の核となるもので、町内の森林所有者、森林組合、林業団体、行政が一丸となり、林業再生へ向けた取り組みを継続しています。


はげ山だった智頭の山

緑豊かな杉林に囲まれた智頭町。緑が身近にあり過ぎて、つい緑の山の存在があたりまえのように感じます。また広葉樹の森のように、木が自然に生えてきた印象さえ覚えます。しかし、明治20年頃、志戸坂峠(至 姫路)、黒尾峠(至 岡山)の開通によって、木材の搬出が容易になったことや、戦争による軍事用投資への拠出などが要因となり、智頭の山は一時“はげ山”になりました。
また、智頭町には樹齢350年前後の“慶長杉”が存在することから、智頭林業は長い歴史と育林技術が脈々と続いているように思われがちですが、植林の歴史は江戸時代後期から始まり、規模も小さく、技術も未熟でした。
今の植林・育林が技術的に確立したのは、明治20年頃から。石谷源蔵氏と大呂甚平氏の2人によって智頭地方独特の“赤挿し苗”(天然杉の下枝から採取した苗)の養成が始まり、地区の人々によって植林が広がっていきました。
その後、“青挿し苗”(人工林の優良木から採取する苗)も養成され、今にいたっています。


観光のまち

 智頭町では、「歴史と文化を活かしたまちづくり」をテーマに、まち全体がエコミュージアム(生きた博物館)であるという理念ものと、観光に取り組んでいます。
 まちの自然や景観、歴史的な町並みや集落の伝統文化を大切に保存・継承しつつ、このまちに住まう人々の生活そのものを見て・触れて・体験していただくことが観光であり、それらが新たな出会いや発見、驚きを生み、このまちを訪れるお客様の楽しみ方で智頭町を満喫していただけるような智頭町を目指し、整備を進めています。
 参勤交代の宿場町(智頭宿)の情緒が漂う古い町並みや、日本の山村集落の「原風景」を残す板井原集落の景観の保全及び文化の継承を行いながら、それらをガイドするボランティアガイドをはじめ、源流域や歴史の道、国定公園那岐山などのトレッキングをはじめ、様々な体験観光を実施し、多くの皆様方に「見て・触れて・楽しんで」いただける観光地を目指しています。

智頭町並み

智頭宿の町並み

 どこかしら昔ながらの空気が漂うまち。智頭町は、奈良時代より以前から畿内と因幡地方を結び、また江戸時代には因幡街道と備前街道が交わる交通の要衝地であり、鳥取県内で最大の宿場町として栄え、鳥取藩主の宿泊所「御茶屋」のほか、奉行所や制札場が置かれていました。今に残る智頭宿には、その名残を留める史跡や道標などとともに、趣ある千本格子の民家や古社寺、造り酒屋などが並び、往時を偲ばせる情緒豊かな古い町並みが残っています。


石谷家住宅

石谷邸外観

智頭宿(当時の宿場町)の中央に位置する石谷家住宅は、古くから屋号を“塩屋” といい、元禄4年(1691年)頃に鳥取城下から移り住み、本拠を現在の智頭宿内に構え、分家をつくり繁栄していきました。広く地主や山林経営をしてきた家柄で、3代目の石谷伝四郎氏は、大正8年(1919年)から約10年間の歳月をかけて改築し、現在の石谷家住宅の姿となりました。平成12年に智頭町に寄贈していただき、平成13年から現在に至るまで一般公開し、多くの観光客が訪れています。

どんなお屋敷?

石谷邸内部石谷家住宅(国重要文化財)は、敷地3,000坪、部屋数40余りと7棟の土蔵を有する大規模な和風建築です。入口をくぐるや否や、高さ14mの吹き抜けの土間が広がり、巨大な梁組みと太い柱が建物の風格を際立たせています。


板井原集落

板井原集落 智頭の中心地から4㎞ほど、杉林の林道を山奥へ入ると、まわりの山々にすっぽりと沈み込んだようにひっそりと佇む板井原集落(伝統的建造物群保存地区)があらわれる。板井原集落は、平家落人の隠れ里と言い伝えられてきた集落で、明治から昭和にかけて炭焼きや養蚕、葛や麻などの栽培で栄えました。今でも昔ながらの茅葺き民家や、昔のままの村道(地割り)が残っています。まさに日本の山村集落の「原風景」と呼ぶにふさわしい情緒が漂い、昭和30年代にタイムスリップしたような気分が味わえます。
 また、100年以上前の古民家(養蚕農家)を復元した喫茶店「歩とり(ほとり)」では、この集落で湧いたおいしい水を使った有機栽培のコーヒーや、飲み物が楽しめます。ゆったりと過ぎる時間の流れに、日々の喧噪を忘れ、くつろいでいただけることと思います。喫茶2階は、ギャラリーとして、様々な展示が不定期で行われています。


新田集落

新田集落集合写真

 “自分たちのことは自分でやる” 小さな自治体づくりを目標に、新田集落は平成12年12月に17戸の集落全戸でNPO法人「新田むらづくり運営委員会」を設立しました。
 きれいな空気と水と緑に囲まれた標高500mの高原には、広大な水田が広がり、春の田植え時期には光輝く水面が、秋の収穫時期には、一面が黄金に輝く稲穂が風にたなびく、のどかな田園風景が広がっています。

新田のまちづくり

新田集落 人形浄瑠璃新田集落では、この村を訪れる人や、出て行った人が「いつか住みたい!」「いつかは故郷に帰りたい!」と思うような集落を目指し、農林業体験の受入などの交流事業を活動の柱として、地域振興や古くから新田集落に伝わる人形浄瑠璃などの伝統文化の継承に取り組んでいます。

大阪いずみ市民生協との交流

平成2年から、都市との交流として、大阪いずみ市民生協との交流をスタート。農業体験、林業体験を中心とした交流は、いまでは顔なじみも増え、まるで親戚のような関係が定着しています。大阪から来る子どもたちも、まるで、実家のおじいちゃんおばあちゃんの家に遊びにいくような親しみを感じているように思えます。

清流で遊び、学ぶ

新田集落 田植え平成11年、田植えや稲刈りをしながら環境について学ぶ「田んぼの学校in新田」を開校。水田での泥んこドッジボールや、そうめん流しをして、賑やかに楽しんでいます。また、毎年数回、各テーマごとに全国の様々な著名人や、博学者を集落に招き、カルチャー講座を開催しています。

森のなかに泊まる

新田集落が一望できる位置に立つ宿泊施設「ロッジ・とんぼの見える家」は、杉の木をふんだんに使ったログハウスです。1泊・2泊程度のショートスティから、長期滞在まで、ご要望にお応えします。おいしい空気の中で、ゆっくりとお過ごしください。

伝統芸能に触れる

新田集落の人形浄瑠璃は、明治7年に村の青年の発案で始められ、人間国宝の桐竹紋十郎氏の指導を受け、「相生文楽(あいおいぶんらく)」と称するようになりました。
現在では、予約をいただければ「清流の里 新田」で公演を見学できます。

このページに関するお問い合わせ先

企画課

TEL:0858-75-4112

【業務内容】百人委員会、まちづくり、交通に関すること等

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